2008-03-19 [Wed]
私はこの世界にいる限り寂しくないんだろうと思っていた。だってこの世界にはたくさんの物があってたくさんの人がいて、その中のほんの一握りとはきっとうまくやって行けるから、私はこの世界で生きている限り独りにはならないんだろうと思っていた。
なんとなく足を踏み入れた学校の裏山に、見晴らしのいい開けた丘を見付けたのは、つい一週間ほど前の事だった。
そこから見える私の街は、驚くくらいにちっぽけな世界だった。夕暮れ時の真っ赤な空から差し込む光が世界の全て、ありとあらゆる物を同じ色に染めて、まるで映画に出てくるような安っぽい作り物の街を見ているようで、ここにいると私は今世界にたった一人しかいない貴重な人間なんじゃないかと変に錯覚してしまって少しだけ楽しい。
もしかして本当に世界には誰もいないのかもしれない。
世界におびただしい量の物も人も溢れ返っていたとしても、ここにいる私に気付いている人間なんて、きっと、どこにもいない。
やっぱりこの広い世界に私はたった独りで生きて行くしかないのかなぁ。
ふう、とため息を付いた瞬間、背後でがさ、と何かが草を分ける音がした。驚いて振り向くと、少し向こうの草の陰に見慣れた袴姿の男の人が立っていた。
「先生……?」
「あ、風浦さん」
どうしてこんなところに先生がいるのだろう。酷く驚いた顔をして立ちすくむ私に対して、先生はそんな様子もなく草を分けてこちらに向かってくる。ふう、と大きくため息をついて私の隣に腰を下ろした。
「結構こんな山でも登るのに体力使いますねぇ……」
そういえば先生は運動が苦手だっけ。本当に体力がないんだ。
私は先生の呟きに何も返さずに黙って世界を見つめていた。先生もそれから口を開かずに、同じ世界を見つめていた。
それはとても不思議な感覚だった。誰もいない街と、何もない世界と、そこに僅かでも感じられるのは自分自身の鼓動と、隣にいる、たった一人の呼吸だけ。
ああ、この世界には、何も。
「先生、何だか、まるで」
「世界に二人しかいないみたいですね」
瞬間、何かを運ぶように風が吹き抜けていった。風は私たちの髪を揺らしながらまたどこか遠くへと旅立っていく。私達しかいない世界に、別の何かを求めて。
この世界の中で私達が感じ取れるものは、互い以外に何も残っていなかった。
「あっ……ははははは! もー何言っちゃってるんですか先生! あはははははっ」
「わ、笑わないでください! いまさら恥ずかしいじゃないですか……!」
なんて幸せなんだろう、なんて素晴らしい事だろう、たった二人、大切な人とたった二人でこの世界に。さっきまで私独りしかいなかったこの世界に、いつの間に彼は生み出されたのだろう。
「ていうか先生、よくここが分かりましたね」
「ああ、それですか……ほら、よく下を見てください」
先生が指差した先には、私達のよく見慣れた木造校舎の窓が、たぶん位置的に宿直室の窓が、木々の僅かな隙間からのぞいていた。
「あ」
「この丘は宿直室から見えるんです。だから、貴女が最近ずっとここにいたのは知ってたんですよ」
なんということだろう。私はこの世界で独りなんだとあの丘でずっと感じていたのに、独りで生きていくんだって思っていたのに、ちゃんと私のことを見てくれている人が、いたなんて。どこまで信じていいんですか神様。
「大丈夫ですよ、ちゃんと気付いてますから」
そう言って、先生は私の手を優しく握ってくれた。
この世界に生きている限り、私は寂しくないらしい。
なんとなく足を踏み入れた学校の裏山に、見晴らしのいい開けた丘を見付けたのは、つい一週間ほど前の事だった。
そこから見える私の街は、驚くくらいにちっぽけな世界だった。夕暮れ時の真っ赤な空から差し込む光が世界の全て、ありとあらゆる物を同じ色に染めて、まるで映画に出てくるような安っぽい作り物の街を見ているようで、ここにいると私は今世界にたった一人しかいない貴重な人間なんじゃないかと変に錯覚してしまって少しだけ楽しい。
もしかして本当に世界には誰もいないのかもしれない。
世界におびただしい量の物も人も溢れ返っていたとしても、ここにいる私に気付いている人間なんて、きっと、どこにもいない。
やっぱりこの広い世界に私はたった独りで生きて行くしかないのかなぁ。
ふう、とため息を付いた瞬間、背後でがさ、と何かが草を分ける音がした。驚いて振り向くと、少し向こうの草の陰に見慣れた袴姿の男の人が立っていた。
「先生……?」
「あ、風浦さん」
どうしてこんなところに先生がいるのだろう。酷く驚いた顔をして立ちすくむ私に対して、先生はそんな様子もなく草を分けてこちらに向かってくる。ふう、と大きくため息をついて私の隣に腰を下ろした。
「結構こんな山でも登るのに体力使いますねぇ……」
そういえば先生は運動が苦手だっけ。本当に体力がないんだ。
私は先生の呟きに何も返さずに黙って世界を見つめていた。先生もそれから口を開かずに、同じ世界を見つめていた。
それはとても不思議な感覚だった。誰もいない街と、何もない世界と、そこに僅かでも感じられるのは自分自身の鼓動と、隣にいる、たった一人の呼吸だけ。
ああ、この世界には、何も。
「先生、何だか、まるで」
「世界に二人しかいないみたいですね」
瞬間、何かを運ぶように風が吹き抜けていった。風は私たちの髪を揺らしながらまたどこか遠くへと旅立っていく。私達しかいない世界に、別の何かを求めて。
この世界の中で私達が感じ取れるものは、互い以外に何も残っていなかった。
「あっ……ははははは! もー何言っちゃってるんですか先生! あはははははっ」
「わ、笑わないでください! いまさら恥ずかしいじゃないですか……!」
なんて幸せなんだろう、なんて素晴らしい事だろう、たった二人、大切な人とたった二人でこの世界に。さっきまで私独りしかいなかったこの世界に、いつの間に彼は生み出されたのだろう。
「ていうか先生、よくここが分かりましたね」
「ああ、それですか……ほら、よく下を見てください」
先生が指差した先には、私達のよく見慣れた木造校舎の窓が、たぶん位置的に宿直室の窓が、木々の僅かな隙間からのぞいていた。
「あ」
「この丘は宿直室から見えるんです。だから、貴女が最近ずっとここにいたのは知ってたんですよ」
なんということだろう。私はこの世界で独りなんだとあの丘でずっと感じていたのに、独りで生きていくんだって思っていたのに、ちゃんと私のことを見てくれている人が、いたなんて。どこまで信じていいんですか神様。
「大丈夫ですよ、ちゃんと気付いてますから」
そう言って、先生は私の手を優しく握ってくれた。
この世界に生きている限り、私は寂しくないらしい。
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